腐ったみかん

適当に書きます

大手回転寿司チェーンは寿司を食うことに最適化されすぎている

先日お食事券をもらったのでいつもは行かない少しお高めの回転寿司に行ってきた。
お高いといっても1皿150円~くらいのまぁそんなに高くないお店。

 

 

久しぶりに大手ではない回転寿司に行ってきた。

回転寿司のレーンの中に職人さんがいるタイプのお店は久々。そういえば寿司って人が作ってるんだなと当たり前の事をちょっと思う。

 

しばらく待ちテーブルに案内される。

 

「し、醤油皿がある…」


醤油皿があることに驚く自分に驚く…いつの間にか大手チェーンの醤油皿がない状態に慣れていた。

なんとお手拭きも手の届く範囲に置かれている。今まで当たり前だったことが当たり前でなくなっている事を実感する。

 


さて寿司を頼むか~とタブレットタッチ。


「さ、サビありかなしか選べる…」


お寿司はワサビあり/なし選べる食べ物である事を完全に失念していた。

醤油にワサビを溶かす方式はあまり好きではないのでこの方式は嬉しい(まぁそもそも醤油皿がないんだけど)

 

食べ終わりお会計、いつもの1.5倍くらいの値段だったかな。

店員さんに「レシートいらないです」って言ったのに癖でレシート取ってしまって店員さんも自分も驚いていた。

 

 

本当に些細なことの連続だけどその些細な事でぐっと人間らしく扱われている気になった。

 


大手回転寿司チェーンはあまりにも寿司を食う事に最適化されすぎている。たまに食事というよりは栄養補給に近い…寿司食いマシーンになった気分にすらなる事がある。

アプリで予約を取りチェックインしモニターに番号が映されるのを待って入店。注文はレーンで運ばれ会計もボタン押してセルフレジで会計…

無駄を極限まで排除したこの方式は店員さんと一切接触せずに食事を終えることが出来る。これがありがたくもあり…一方で味気なさも感じる。

スーパーでやたらと店員さんに話しかけている老人の気持ちが少しわかる年齢になってきた。

 

 

意外と人生には無駄が必要なのではないか…などと考えつつ、きっと今後も安さを求めて最適化された大手チェーン店へ行くのだろう。


と、まぁこういう事を書いてると「接客求めるならもっと高い店にいけ」だとか「嫌なら行くな」だとか正しさで怒られるのが今のインターネットの辛いところ。

人は矛盾を抱える生き物である、文句言いながら回転寿司に通ってもいい。

 

 

終わりで〜す。